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​皆さんの善意を形にします!

活動のきっかけ

私が25歳のとき、家でテレビを見ていたら、大阪で起こった悲しい事件が目に飛び込んできました。

2010年の夏に起こった悲しい事件。

当時、1歳の男の子と3歳の女の子がマンションの一室で餓死した事件でした。

衝撃的なニュースでしたので、覚えている方も多いのではないかと思います。

このニュースを見た瞬間、心が締めつけられるような思いがしました。

 

なぜ1歳と3歳が餓死しなければならなかったのか?

なぜ1歳と3歳の子どもが餓死するような社会を大人たちは放置しているのか?

なぜ虐待やネグレクトは起こるのか?

ニュースでは母親が悪いとされているが、本当にそうなのか?問題の本質・根本は何か?

 

当時の私は、視野も狭く、視座も低く、社会のことも全然わかっていない若造でした。

大人たちが行動を起こしていないから、社会が変わっていないんだと思い込み、

だれも行動を起こさないのであれば、自分がやるしかないと思い、

一人の親として、一人の大人として、自分の子どもや孫の世代が笑って過ごせる社会を作ろうと決意しました。

 

今思えば、なかなかの思い込みですね。

 

25歳の若造なりに考えました。

 

自分にできることは何か?

問題の本質は何か?

社会を変えるためにはどうすればよいのか?

 

まず社会の現状を知るために、虐待やネグレクトなどの講演会に出かけて情報収集をしました。

そこには社会を良くしようとする大人たちがいました。

行動を起こしているステキな大人たちがいました。

 

しかし、現状は1歳と3歳の子どもが餓死する社会。

問題の根本・本質に焦点を当てて、社会を変えていく必要があるのではないかという考えに至り、

自分の中でたどり着いた本質は、「人」でした。

社会の最小単位は、「個人」です。

「人」が社会を形作ります。

 

未来の社会を形作る子どもたちに対して何かできないかを考え、

たどり着いたのは、子どもたちが素直に成長できる「環境」でした。

一人の親として、我が子を見ていて学んだのは、その恐るべき成長力と純粋な心。

純粋な心と自ら学び、成長する力に未来の可能性を見出しました。

 

大人が子どもたちにできること。

 

大人から子どもにあれこれと教えるのではなく、

大人が子どもたちのためにできる最大のことは、子どもたちが自由に成長できる「環境」を提供することだと思っています。

 

今では、「子どもの才能を育む環境の実現」を思い描き、活動しています。

 

私の創業の想いとしては、自分の子どもや孫の世代が笑って過ごせる社会にするべく100年後、200年後の社会を思い描き、創業しました。

理事長 ​服部裕樹  

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理事長の想い

2010年のきっかけから、私が日本社会を見て思うこと。

  • 現状の日本の義務教育と社会が求める人材とのギャップについて

小学生や中学生のとき、授業中にふと教室の違和感を覚えた。先生が黒板の前に立ち、きれいに等間隔で並んだ机に生徒はちゃんと座り、先生の話を聞いたり、ノートを取ったりしている。異様な光景。

異様な教室が学校という建物の中にはいくつもあり、また学校内での教室の配置も等間隔に並んでいる。これまた異様。

異様な学校が日本という国中にいくつもあり、一体、この国は何を作ろうとしているんだ?何をやろうとしているんだ?と違和感を覚えた。

みんな同じということに違和感を覚えたのかもしれない。

窮屈さを感じた。

ある不登校の小学生の女の子が言っていた。「教室は苦い感じがする」と。表現は違えど、自分が感じた違和感と似ているのかもしれない。

日本の義務教育は、受け身の教育で、同じような人間を大量生産するような仕組みに思う。そこには自己表現が許されない。授業中に自由な発言はだめで、先生の言うとおりにしないと怒られる。またテストの点で評価され、比べられ時に自尊心も傷つけられることもあるだろう。

高度成長期、物と作れば売れる時代、工場を8時間稼働させるより、16時間稼働、24時間稼働の方が売上が上がる。品質を均一化するために、全員同じ仕事を手順を間違えず黙々とこなす人材が社会に必要とされた時代は、現状の義務教育が輩出する人材とマッチしており、高度経済成長を後押ししたと思う。

しかし、今の社会で求められる人材はこうだ。働き方改革のコンサルの仕事で大手企業の人事部長や役員と話をするが、皆同じことを言っている。主体性を持って、自ら考え行動し、問題解決やイノベーションを起こせる人材。変化に対応できる人材から変化を自ら起こせる人材が求められている。現状の義務教育の環境とは真逆。日本の教育と社会が求める人材のギャップが拡大している。新社会人もそれは戸惑う。

幼児期に、主体的に自ら考え行動できる土台を作るべく、子ども主体の気付きと学びの環境を作っていきたい。

  • 現状の幼児教育

小学校もそうだが、既存の幼稚園や保育園は、大人都合で大人が子どもを管理しやすいような仕組みになっている。

子どもが粘土遊びに集中しており、脳が活性化し脳が最も育っている状況にあったとしても、時間割に従い、遊びを中断させ、お歌の時間などに強制的に移行させられる。

学芸会も主役が多数いたり、これは保護者を満足させるためであり、園側が保護者と揉めないためであり、保護者に対するただのサービス業であり、教育ではない。

これらすべて、大人の都合であり、子ども都合のことが一つもない。学びの主体は子どもであり、子どもの都合で子ども主体で教育は行われるべきだと考える。

いつもそうだ。大人が子どもの才能に蓋をする。大人の都合の良いように仕組みができており、子どもを管理しようとする。すべては大人が楽だからだ。

子ども主体の気付きと学びの環境を作っていきたい。

  • 嘘のようで本当の話

小学生で、コケ慣れていないため、反射的に手を付けず、顔面から地面に落ちて大怪我をする。反射的に手を付けても腕力が弱く、顔面から地面に落ちて大怪我をする。

子どもがコケそうになると、コケる前に親が支える。またコケそうな場所から遠ざける。つまり、子どもがコケる経験を親が奪っており、親から離れ、小学生なると大怪我をする。

小学生で、体育などでも縄跳びなどジャンプする機会はあると思うが、着地の際、アキレス腱が切れる。

 

ボールを投げる経験をしていないから、ボールが上手く投げれない子どもが増えている。

 

小学生の運動能力の低下は、ニュースでもやっているが、ここまで運動機能や体が出来ていないことは危険。

また脳は、五感からの刺激を受け、活性化し脳の神経細胞のネットワークが密に構成される。脳の発育のためにも幼少期の運動は大切。

もちろん、運動だけではなく、五感をフル活用することは、脳の発育に良い。走ったりと下半身の運動は脳の発育に良いとも言われている。

 

また脳も体の一部である。例えば、脳の前頭葉の発育が遅れると、感情をコントロールできず、キレる子どもになる。また相手の立場になって物事を考えたり、社会生活、人間関係において重要な能力も育たない。

森での活動は、自然と五感をフル活用することになり、脳の発育にも貢献すると思う。

  • 失敗にポジティブになる

私が大学で外部講師としてファシリテーションを教えている際、私の自己紹介が終わり、大学生から質問がいくつかありました。その一つに「失敗からどう立ち直ったのか?」というものがあった。(私の人生は失敗が多く、その話をしたため出た質問だと思われる)

 

気付いたのが、その講義に出ている大学生の大半が、失敗に対してネガティブなイメージを持っているということ。失敗はしてはいけないもの。失敗はダメなこと。失敗したら、落ち込み立ち直る必要があること。

 

その際、大学生に私が伝えたのは、自分は失敗に対してポジティブなイメージを持っているということ。

理由としては、失敗する→気付きや学びがある→成長する→チャレンジする→失敗する→気付きや学びがある→成長する→…という成長のサイクルがあること。

失敗は、気付きや学びのきっかけになり、成長のきっかけになるということ。自分はそうやって成長してきたこと。だから、失敗に対してポジティブなイメージを持っていること。

なので、失敗したら立ち直らなければならないほど、ダメージを受けないことを伝えた。

大学生の皆さんも、失敗にポジティブなイメージを持ち、多くのチャレンジと多くの失敗を経験し、成長していってもらいたいと思った。

  • 自己肯定感、自己効力感、相互承認力

「子どもの才能を育む環境の実現」に向けて活動し、森のようちえんである「里山はぐくみ園」を開園して、「子どもの才能を育む環境の実現」のために具体的なキーワードを考え、悩み、大切なものに絞り込んだ結果、

自己肯定感」「自己効力感」「相互承認力」という3つのキーワードに絞られた。一言で言うと、「非認知能力」になる。

日常で、「成長する喜び」、「役に立つ喜び」を多く経験し、自己肯定感、自己効力感を育み、それを土台として、相互承認力を育む環境の実現しようと考えた。

  • 人格創造、人格形成の土台を幼少期に築く、勉学はそのあとで良い

勉学が不要とは言わないが、人としてもっと大切なことがあるのではないかと思う。

大企業の役員の不正、先生と呼ばれる人たちの犯罪・事件が後を絶たない。

算数が苦手であれば、算数が得意な人に助けてもらえればいい。

相手が国語を苦手で、自分が国語を得意であれば、助けてあげればいい。

競い合いではなく、助け合い。

奪い合いではなく、譲り合い。

比べ合いではなく、認め合い。

それが当たり前の価値観になれば、色々な不正、犯罪、事件で苦しむ人は減るのではないかと思う。

理事長 服部裕樹  ​

はぐくみメソッド

自己肯定感、自己効力感、相互承認力を育む環境づくりのための周りの大人の立ち振る舞い。

(下記は一例であり、常に内容は更新され、修正、改善させるため、現時点のものになります)

①自己肯定感・・・ありのままでいいよ。

【自己肯定感を育む行動】

→相手の話に耳を傾ける、話はさえぎらない、話を最後まで聞く。

→相手の話を聞いているときは、笑顔であいづちをして話を聞いていることを動作で伝える。

→相手の話を否定しない。

→相手から要望があれば可能な限り受け入れる。

→棒を振り回していたり、石を投げていたりした場合、反射的に、「ダメ!」「禁止!」「やってはいけない!」「あかん!」など否定しない。人にケガをさせそうなときは、ケガさせるシミュレーションを一緒にしてあげる。教えるではなく、気付きを与えることを心がける。

→できなかったときに叱るのではなく、できたときに褒め、できなかったときはには励ます。

→子どものやりたいを尊重する

→感謝の気持ちを伝える

 強制はさせない(悪い例:子どもが何かをもらったとき、お母さんが「何て言うの?」と感謝を言わせようとする)

 感謝は本来、心から溢れてきて言葉にするもの。周りの大人たちが感謝を日常的に口にして、行動で示す。

②自己効力感・・・やればできる。

【自己効力感を育む行動】(達成する経験の積み重ね)

→相手が何かをやり、満足を感じて笑顔になっていたら、共感し褒める。

→小さいことや些細なことでも、「できた!」があれば、共感し褒める。

 大人にとっては、当たり前なことでも子どもにとっては大きな出来事もあるので、自分の当たり前にとらわれないように注意する。

→子どものやりたいを促すことはスタッフもするが、やるのは子ども自身であり、スタッフが代わりにやったり、大半を手伝ったりしない。子ども自身ができるように手伝う。

→スタッフは子どもの可能性を信じて、待って、見守る。

→できた時、達成した時「良かったね」「すごいね」と声を掛ける。できなくても、やろうとしたことに対して認める。できなかった場合、一緒に次はどうするか考える。

③相互承認力・・・みんな違ってみんな良い。

【相互承認力を育む行動】

(相互承認力は自己肯定感と自己効力感の土台に成り立つ)

→子ども同士の関わりを促す

→相手の立場や気持ちを想像するように促す

→相手の性格への理解を促す

寄付金の使い道

自己肯定感、自己効力感、相互承認力を育む環境の実現のため、また里山はぐくみ園の運営のために寄付金は活用されます。

寄付の方法

単発寄付(クレジットカードによる引落、もしくは銀行振込)

継続寄付(クレジットカード、もしくは銀行口座による毎月引落)

 継続寄付の種別

 ・あおむし応援団(月3000円)

 ・さなぎ応援団(月5000円)

 ・ちょうちょ応援団(月8000円)

※単発寄付は都度寄付、継続寄付は毎月寄付となります。​

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